File #8 ブラックライダー

 引き続きK氏の話だが、北日本一周を終えて自宅に戻り、南日本一周へ再び旅立った時にも、K氏には苦難が襲い掛かっていた。それほど事件というわけではないが、良い機会だからここに書き留めておこう。

 K氏が南日本に旅立ったのは、2001年の10月も終わりのことだった。既にバイクで長い期間出掛けるには、限界に近い季節だったが、K氏に与えられたチャンスは今しかなく、防寒装備を充実させて出発した。丹後半島から山陰経由で、京都、兵庫、鳥取、島根、山口と順調に消化し、九州に入って福岡、佐賀、長崎の島原半島と回り、再び佐賀、福岡久留米を経由して熊本に入った。ここまでの旅は、宿が取れずに野宿する事が多かったものの、その他は全く順調としか言いようがないほど、トラブルには一切見舞われなかったが、ただ一つだけ、トラブルというほどてもないが、バレーボールで痛めた古傷の左手薬指が、連日の度重なるクラッチワークで腫れてきていた。乗っていたバイクは大型の逆輸入車で、クラッチが重く、しかもレバーとグリップの距離が遠いのが主な原因だが、確実にK氏へ疲れが忍び寄ってきていたのも事実だろう。そしてこの熊本の地が、彼にとって苦難の序章となった。

 熊本に入った日は、北日本、南日本のツーリングで、初めて一日中雨になり、久留米から柳川、熊本に到るまで雨に濡れ続けた。当然カッパを着込んでいたものの、古くなったカッパは、一日中降り続く雨には抗し切れずに、その下のフリースやジーンズを浸水させ、ブーツやグローブも、防水をある程度施してあるとは言え、言わずもがなの状態であった。こんな状態で夕刻の6時過ぎに熊本の健康ランドに着いたK氏は、冷えるからだを暖めようと、濡れた衣類をロッカーに干し、急いで風呂に入った。この時、グローブだけは別格の濡れ方であった為、ロッカーの中では乾燥しないと判断し、ロッカーの上に干していた。これが正に苦難の始まりであった。
 宿を取った健康ランドは、風呂は広く、サウナも3ヶ所あって、食べ物等もすべてロッカー番号で清算できるシステムで、K氏は非常に気持ち良く滞在できたという。出発の日も、早朝に起床して朝風呂に入り、意気揚々と出発の準備を進めていた。しかし、石巻で味わった嫌な感覚が、ふと頭をよぎった。
 「マジかよ・・・。」
 その嫌な感覚は、昨日ロッカーの上に干していたグローブが見当たらない事から来ていた。K氏は苦笑いを浮かべながらも、とりあえず更衣室を丹念に見回ったが、石巻の時と同じ結果に終わった。出発を遅らせる事はできない為、身支度を整え、フロントで落し物として届けられていないかを聞いたが、フロントには届いていないとの回答だった。K氏は既に1度経験している為か、石巻の時ほどの動揺を見せなかったが、前回よりも実質的な損失は大きいと言えた。手持ちのグローブは、夏用と冬用の2種類を持参していたが、夏用の手袋は指が剥き出しのタイプで、熊本以降の後半の日程は、これのみで凌がねばならない。南国とは言え、気温が関西よりも10度以上暖かい沖縄地方とは違い、せいぜい5度ぐらいしか違わない九州では、明らかに貧弱な装備であった。それにしても、ビチャビチャという表現がぴったりなほど濡れたあのグローブは、どこに行ったのだろうか。誰かが持ち去ったか、あるいはいたずらで捨てられたか。いずれにしても、本人でさえ持つのに躊躇するほどずぶ濡れであったのに、それを手に取った人間が居るというのはK氏には驚きであったし、ややもすれば尊敬の念すらこみあげたと言う。
 かくして、夏用のグローブだけが残った。新しくて高価な方ではなく、この旅が終われば引退させようとすら思っていた古い方だ。震災でも、古くて安い物ではなく、高価で新しい物が失われる現象が往々にして見られたが、この旅先でそれを再現しようとは。K氏は身に降りかかる不運を呪いたかったが、時間を考えるとそれも許されず、粛々とバイクに荷物を積み込み、出発の準備を進めていた。だが、再びK氏に次の火種となる不運が忍び寄っていた。バイクを止めていたのは屋根付きの駐車場だったが、その囲いの鉄板に反射するバイクのヘッドライトが、いつもより暗く感じたK氏が何気なく確認したところ、2灯の内の1灯が切れていた。
 「今日は厄日やな・・・。」
 そうひとりごちながらも、1灯が生きていれば走行に支障は無い為、K氏は出発した。そう、この時点ではまだ支障は無かった。

 その後K氏は、予想した通りの指先の寒さに耐えながらも、熊本から南下して鹿児島長崎鼻、佐多岬という両南端を制覇し、今度は九州東岸を北上していた。この間、K氏の身体には、不幸中の幸いとも言うべき変調が起こっていた。剥き出しの指先が寒風にさらされる事によって、熊本を出発した翌々日には左手薬指の腫れが引き、痛みも無くなっていたのだ。山陰の島根、山口の辺りから痛みだし、毎日の酷使によって悪くなりこそすれ、良くならなかったあの古傷が、瞬く間に治癒したのだ。正に空冷とも言うべき驚異の効果によって、劇的に痛みが改善した事に気分を良くしていたK氏だが、熊本で発した火種が、ここ大分で大きな炎となるのをまだ知らずにいた。

 宮崎から大分に入ったK氏は、大分市南部にある健康ランドに向かって北上していたが、夕刻のラッシュに巻き込まれ、いたずらに時間を過ごしていた。11月ともなると、日暮れと共に体感温度が急激に落ち始め、日没後は体に震えが来るほどの寒さになる。その為K氏は、日没までに宿に入ることを目指してスケジュールを組んでいたが、この日は渋滞によって、走行中に日没を迎えざるを得ない状況となっていた。
 健康ランドまであと数km、薄闇となった空の状態と相談しながら、あと少しで到着するという安心感と、今日も良く走ったという達成感がないまぜになった気持ちを抱え、信号待ちで止まった前の車に目をやった。
 「どうも暗いな・・・。」
 すぐ前の車に反射するヘッドライトの光が弱々しいのだ。それまで抱えていた気分を消滅させるに足る状況を認識し、熊本で感じたものと同種の感覚が頭をよぎったが、ほぼ同時に2灯とも切れることはありえないだろうという常識が、K氏の不安を掻き消した。しかし、健康ランドまであと1kmも無いところまで迫る頃には、辺りは一層暗さを増す中で、バイクの前方も明らかに暗さを増した事が、疑念を信じたくない確信へと変えた。
 なんとか健康ランドまで走りきり、ヘッドライトを確認すると、やはり2灯とも切れている。アップライトとスモールランプは生きていたが、これだけで夜間の走行を乗り切ることは、明らかに困難に思えた。K氏は、すぐに翌日以降のプランの練り直しにかかったが、それまで立てていた計画で行くと、どう考えても太陽の昇っている時間を目一杯を使わなければならなかった。しかし、早朝の日の出の時間帯というのは、一日の内で最も気温が低い時間帯である。熊本で冬用のグローブを失った状態では、手がかじかんで運転できるかは微妙であった。
 次の日からK氏の戦いが始まった。健康ランドを午前6時半に出発し、いきなり高速に挑戦するという暴挙に出るが、行きたい方向の入口が無く、肩透かしを喰らわされ、大きく迂回して高速に入ったのは、既に7時をかなり過ぎていた。それでも朝の空気は冷気を含み、K氏の指先から体温と感覚と握力を奪っていった。夜は夜で、夕闇迫る時間になると宿の確保に追われ、誤って日没を迎えた場合には、前方に車がない時にはアップライトで凌ぎ、車がある時にはスモールランプで追従した。運悪くバイクの前方に位置した車は、遠くの時には眩しいライトを浴びせかけられ、近付くとスモールランプのみで肉薄するという、客観的に見れば喧嘩を売っているか、はたまた悪意を持っているとしか考えられない行為の犠牲となった。車体の色だけではなく、暗闇に浮かび上がる黒いバイクを、前方のドライバーはどう感じただろうか。
 幾度も対向車にパッシングされ、その度にヘッドライトが切れている事を見せたり、仕方がないと開き直りながらも、このような戦いが3日に渡って続き、K氏が自宅に帰り着いた時には、残るスモールランプも切れ、タコメーターの上半分も消えていたという。満身創痍という言葉が過不足無く当てはまる状態で、事件となることなくK氏が無事に帰還できたのは、全く幸運という他ない。