File #7 リアルテント

 K氏が仕事を退職し、放浪の旅に出ていた時の事を語ろうか。

 新たな千年紀の始まりであった2001年、K氏は長年の夢であった日本一周の旅の途上にあった。季節の関係から、北海道に上陸するのは諦めたものの、青森までを往復する北日本一周を目指し、往路太平洋側を南へと大型バイクで疾走していた。青森で霜注意報が出て震えが止まらないという小さなトラブルに遭いながらも、旅は順調であった。
 12日目。彼は城下町の趣き漂う岩手遠野を出発し、中尊寺や岩出山城を観光して、夜には石巻に到着した。東北北部で寒波に襲われた彼は、その間旅館や民宿を宿としていたが、寒波の去った石巻では所持金の節約の為、野宿しようと決めていた。石巻駅前の交番で、独特の愛嬌ある方言の婦警から銭湯の場所を聞き出した彼は、600円で広い露天風呂と2種類のサウナを満喫し、寝床探しに出発したのは午後9時半を過ぎていた。地図上で、芝生が敷き詰められているという近くの公園を発見し、寝床と決めていたが、案内板が夜で確認しにくい事情もあって、実際に到着したのは午後10時半になろうとしていた頃だった。
 彼は湯冷めと睡眠時間の不足を恐れ、テントの内側の室内部分を構築するとさっさと荷物を運び込み、そのまま就寝した。しかし、彼は重大なミスを犯していた。ツーリングでテントを建てる時は、光源が少ない事やそのまま就寝する事もあって、テントを固定するペグや外側の覆いを使用しない。今回はそれらを、テントを組んだ明るい街灯の下から、テント内に運ぶのを忘れていた。

 翌朝、彼に悲劇が襲い掛かった。
 いつものように午前7時半頃起床したK氏は、バイクに付いた露を拭き、主な荷物をバイクに積み込んで、テントを日なたに移動させて乾燥させていた。その乾燥の間に近くの公衆トイレで洗顔と歯磨きを済ませ、乾ききるまで赤とんぼと戯れたり、今日のルートの確認をしていた。そしてテントを片そうとしたその時、彼は微妙な違和感に気付いた。
 「ん?・・・・・・・・あっ!ないっ!」
 この時になってようやく気付いた。新品だったペグや外側の覆いだけではない。テントを収納する袋や、バッグに積み上げる為のゴム製のネットも全て失っているのに気が付いたのだ。普段沈着冷静なK氏も、この時はさすがに焦った。テントがバイクに載らないのだ。
 思い起こせば、テントを組んだ後、暗い場所に移動させたが、ペグ等をしまった記憶がない。しかしテントを組んだ街灯の下にもない。周囲に捨てられていないかどうか、すぐ横の川や雑木林を探しても見つからず、念の為便所の中まで確認したが見つからなかった。K氏は起床までに物音で2回ほど目を覚ましているが、この時にここを訪れた人間が持ち去ったとしか思えなかった。
 日なたには、骨組みと室内部分のみのテントがぽつんと残されていた。そう、最低限の部品のみのテント、リアルテントとして。

 K氏が、テントを置いていくかどうか真剣に悩んだ挙句、尋常ならざる張りを持った、言い換えれば時給が著しく高くなったバッグをバイクに載せて、この地を旅立ったのは午前10時に近くなっての事だった。